ライヴ・フロム・ニューポート・1964
発売日
2016.09.21
レーベル
SSJ
規格
DIGITAL/CD

≪1964年のニューポート≫
 1964年度のニューポート・ジャズ・フェスティヴァル(ロードアイランド州)は、7月2日から5日にかけてフリーボディ・パーク内の特設会場でおこなわれた。
午後8時に始まった二日目7月3日の夜の部は、休憩をはさんでスタン・ゲッツ+チェット・ベイカーのセット(アストラッド・ジルベルトの名はプログラムにはない)でスタートした。

≪新生スタン・ゲッツ・カルテット≫
 ゲッツのセットは、ゲッツ、ゲイリー・バートン、ジーン・チェリーコ、ジョー・ハントからなる当時のレギュラー・バンドによる演奏で始まる。4人は64年3月に初めてレコーディング・スタジオに入ったが、これは94年に『ノーバディ・エルス・バット・ミー』としてCD化されるまで未発表だった。5月下旬に行なわれたクラブ「カフェ・オー・ゴー・ゴー」でのライヴ録音の一部が『ゲッツ・オー・ゴー・ゴー』に収められているが、リリースされたのは同年12月のこととされる。つまり、このグループによる作品はニューポート出演の時点ではまだ一枚も世に出ていない。
 「ワルツ・フォー・ア・ラヴリー・ワイフ」は、アルト・サックス奏者フィル・ウッズが57年に当時の妻チャン・リチャードソン(チャーリー・パーカー最後の内縁の妻でもあった)に捧げて書いたナンバー。「ザ・シンギング・ソング」と「シックス・ニックス・ピックス・フリックス」はバートンの作品である。

≪予告になかったアストラッド・ジルベルトの登場≫
 「イパネマの娘」で大歓声の中をアストラッド・ジルベルトが登場する。彼女はブラジル時代の59年頃から人前で歌っていたが、“たまたまゲッツとジョアンのニューヨーク・レコーディングに居合わせた歌手経験のない若妻が、もののはずみで「イパネマ」を歌ったら大成功、あれよあれよという間に人気者に”と宣伝された。「イパネマ」を英語で歌わせてほしいとプロデューサーのクリード・テイラーにアストラッドが頼んだのが始まりで、ブラジルにいる頃からアメリカで歌手として成功するのが目標だったというのが真相である。

≪チェット・ベイカーの登場≫
 続いてボサノヴァ誕生にも大きな影響を与えたチェット・ベイカーが登場。彼がニューポートの舞台に立つのは1955年以来、9年ぶり2度目である。59年にイタリアでドラッグにまつわる罪のため逮捕・投獄され、62年に出所してからもヨーロッパを拠点に演奏活動を続けていた。ようやく母国アメリカに戻ったのは64年春のことだ。62年のある日フランスでトランペットを盗まれ、譲ってもらったフリューゲルホーンに替わっている。(60年代後半、今度はフリューゲルホーンを盗まれ、トランペットに戻るが)。この日集まったニューポートの観客のほとんどは初めてもしくは久しぶりに彼の演奏を目撃したはずである。「バット・ナット・フォー・ミー」では歌も披露するが、「アイ・ウェイテッド・フォー・ユー」では50年代からの演奏仲間でありカムバック・バンドの一員でもあるテナー・サックス奏者フィル・アーソが、なぜかピアノで伴奏を務める。「リトル・ウィリー・リープス」でようやくゲッツとベイカーの本格的な競演となり、チェットもこの日の中ではかなりシャキッとしたプレイで拍手を集める。

TRACK LIST

DISC1

01
ワルツ・フォー・ア・ラヴリー・ワイフ (Live)
02
トゥナイト・アイ・シャル・スリープ (Live)
03
スタンズ・ブルース (Live)
04
ザ・シンギング・ソング (Live)
05
スウィート・レイン (Live)
06
シックス・ニックス・ビックス・フリックス (Live)
07
イパネマの娘 (Live)
08
あなたと私 (Live)
09
バット・ナット・フォー・ミー (Live)
10
アイ・ウェイテッド・フォー・ユー (Live)
11
リトル・ウィリー・リープス (Live)